第60回全国植樹祭の基本構想検討委員会が
23日にありました。
構想の素案が提出されて、その内容に各委員から
意見を聞く形の検討会となりました。
開催理念の内容で、どうも、
私は、納得がいきませんでした。
が、どう納得いかないかをうまく表現できません。
後になって、考えると、なんと、まあ、
チャランポランなことを言っていたよな
と反省もしましたが、やっぱり素案を読み返しても、
納得がいきません。
というよりも、書いてある内容が難しすぎて、
私には、理解できない。内容が一杯あって、
それを、短い文章でまとめてあります。
予備知識が無いと、難しい。
それは、私の読解力が無いためです。
でも、私が分からないことは、やっぱり、
他にも、分からない人がいるということです。
子供たちにも分かる。優しい文章であってほしい。
すくなくとも、子供たちに分かりやすく
説明できる内容であってほしい。
そう思いました。
幾人かの、委員からも、もう少し、
柔らかい表現が欲しいとか、
一読して、すうっと分かる文章に書き直しては、
とか、意見もあったので、
あながち、私の思ったことも、そう外れていない
ようでもありました。
でも、私は、何がなんだか、良く理解できなかったし、
いまも、理解できないでいます。
それでも、「言って後悔するよりも、言わないで
後悔する方が良くない」と思っているので、
つい分けの分からない、ことを言ってしまう。
失礼なことも言っている時もあるんでしょうね。
植樹祭のことや、森林のことをく理解されている
人たちが、作られた素案だと思います。
良くできているものに違いありません。
でも、その良さが分からない。
なんだか、どっと、疲れた感じでした。
推薦していただいた人たちには、悪いのですが、
私は、やっぱり、この会には、
どうも、不相応だったよう気がしました。
でも、参加されている人々の意見は、素晴らしい。
とてもいい勉強になります。
その点では、いい経験をさせていただき
ありがたく思っています。
里山をChichi流にこう定義してみました。
その地域に住む人々が、
自然を巧みに資源として利用することにより、
継続的に維持・管理されてきた里山林と、
それに隣接する集落や耕地等を
含む日常生活の場とその風景。
もちろん、完璧では、無いと思います。
また、変わるかも。
でも、いろいろと考えているうちに、
里山を復興することの、イメージが随分と、
はっきりしてきました。
と同時に、里山の復興は、
単に、自然の保全だけではなく、文化の保全・継承も含まれるのだと、
気づきました。文化事業でもあるんです。
さらに、多くの人々の手に寄って、復興することは、
教育や福祉にもつながるんじゃないかと考えたんです。
森んこが取り組もうとしている、
「里山遊木民プロジェクト」のイメージも
はっきりしてきました。
大いにやる気が出てきましたよ!!
里山を考える101のヒント」(日本林業技術協会編 東京書籍発行)
という本を図書館で見つけました。
いろいろと、今まで、考えていた定義なんかが実にうまく、
まとめてありました。
なんだ。これ読んでればいいじゃない。なんて、思ったほどです。
今日の里山の問題点をいろんな方向から、取り上げらていて、
里山を考える入門書として、良書だと思います。
で、この本に、里山をこう定義してありました。
「日常生活および自給的な農業や伝統的な産業のため、
地域住民が入り込み、資源として利用し撹乱することで
維持されて来た、森林を中心とした景観」
そして、こう続きます。
「里山の範疇には、里山林と隣接し深い関係を持つ集落
や耕地も含めて考えるべきでしょう。」
さらに
「里山は、地域社会の文化や人々の生業から大きな影響を
受けていて、ことに東アジアでは、この地域に広がる自給的・
家族的な農業と不可分に結びついています。」
そして、こう結びます。
「里山には、生活のなかの風景としての歴史もあります。
(中略)昔話や説話のなかでも里山は重要な舞台となって
います。里山は、すぐれて文化的な存在でもあるのです。」
この文章を書いたのは、大住克博さんという方です。
この本が出版された当時、森林総合研究所の関西支所で
風致林管理研究室長を努めておられる方とのことです。
実に良くまとめてあり、的確な表現に感心しました。
この後、大住さんは、実に鋭い指摘をしておられます。
そのことは、また、後日改めて、書きたいと思います。
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